The logic as a weapon

2001年10月31日
"DANCER IN THE DARK" を観る

実は Bjoerk が好きで、
封切当初から観たかったのだが、
機会がなくて劇場でみれなかったやつ。

この映画、実は私の周りで
賛否両論分かれたやつだった。
しかも、
ほめる人はべた褒めし
嫌いな人はさいてーという真っ二つ並
だから、なぜそんなに分かれるのかも
気になっていた。

観てみて、その理由が分かった。
それは、映画を観てる人が、
武器としての論理、を
持って生きているか否か、だ。

きちんと高等教育機関の教育を
受けている人は
意識するしないに関わらず、
論理的思考というのを要求され、
かつ多少なりとも身に付けている。

したがって、その強弱の違いはあるものの
物事の見方が論理的な切り口になってくる。

一方、映画に出てくる”セルマ”は
役柄上、そういったこととは無縁に
彼女の世界の中で生きている。

論理的な見方をする人にとっては
この彼女の生き方は、
まったくもって滑稽に見え、
見ていていらいらしてくるのである。

映画の中からも分かるように、
論理、というのは
周りからの攻撃から自分の身を守るための
ひとつの武器になりうる。

”セルマ”はこの武器を持っていない。
逆にいえば、この武器を持たず、
自分独自の世界を作り出すところに
彼女の魅力がある。

論理という武器を持っていない、
もしくは、持っていても
武器を持たない状態にあこがれ、
彼女の世界に共振できる人は
この映画を、すばらしい、といい
武器を所有し、かつ
この使用を是としている人にとっては
この映画は、単に滑稽な人の劇にしか
写らない、ということである。

気をつけてほしい。

この映画が滑稽に見えた人は、
武器は、自分を守るだけでなく、
誰かを傷つけることもできる、ということを。

逆に、この映画を
まさしく「盲目的に」すばらしいという人は
自分が大事にしている世界を失いたくなければ、
武器を持っている誰かをパトロンとして
その庇護のもとに下るか、
もしくは、自ら武器を手にして、
守っていく必要があることを。

ちなみに、私がどっちに振れたか、
というのは、秘密。

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